わたしの言うことは、
常に正しい
んだ。
わたしは正しいことしか言わないし、行動もしません。
それに、そのときの言動が正しいかどうかなんて、考えることもしません。
だって、わたしは、
常に正しい
から。
だから、わたしに賛同する人は正しい人で、
同意しかねる人は間違っているということになります。
わかりました?
って、賛同できましたか?

とんでもないヤツって思われたかも知れませんね。
でも正直言って、
わたしは正しい(と言っては言い過ぎかも知れませんが)と思うことを
言動に現しています。
よしんば、正しいことを言わなかったり、
その場において適切でないことをしたとしても
それは必要があったからで、
ある意味、その時その場では正しい言動であったと言えると思います。
でもね、わたしに賛同できない人がたくさんいることも承知しています。
だって、「正しい」のはわたしにとってであって、
あなたにとってではないからです。
わたし自身でさえ、同様な事柄に対し、
時と場所が異なれば平気で異なる言動を為します。
そんなことは当たり前です。
でも、どちらもわたしにとっては正しいのです。
「正しい」なんて相対的なことです。
常にどんな場合にも正しいことなんて実はほとんどないと
わたしは考えています。
物理の基本的な法則でさえ、時代とともに変わります。
もちろん実際に起こっている事象は変わりようがありませんが、
それを説明する理論、考え方は人側の都合や力の至らなさで
正しいことが変化してしまいます。
まして、人対人のことがらなんて、どうでしょう。
それぞれ正しいに決まっているではないですか。
でも、かみ合わないことはよく起こることですよね。
わたしはいつも正しいけど、
わたしだけが正しい訳ではなく、あなたも正しいからです。
どちらも正しいはずだけど、でも同時に正しくないのです。
ここに別の人が加わり、また異なることを言えば、
正しいことが三つになります。
いいんじゃないですか。
正しいこととはそう言うこと、
相対的なことだとわたしは思っています。
そのことを認識せず、
自分の正しさが絶対だと勘違いする人が困りものですね。
そう言う人には相手を尊重する気持ちが足りません。
お互いの正しさ、意見を尊重し合い、
議論はしても、妥協や意見の一致は見なくても相手を認める
ということができない人のように感じます。
そう考えると、自分の意見を押し通そうとする人は
強さではなく、弱さゆえなのではないでしょうか。
自分の矜持をしっかり持つことができないがために、
言動など見えるところで強力に自己主張をせざるを得ない人
のように思われます。
さて、わたしは正しいかな?

にほんブログ村

スポンサーサイト