望月辺りの今も変わらぬ美しい地形。
誰もが美しいという感情を抱くかは別にして、
多くの人びとが私の土地を持つのではないだろうか。
それはふるさとと言ってもいいのかもしれない。
いいえ、ふるさとよりも広い思いか。
私の「私の土地」、あるのだろうか?
それが自分の内に根ざすころ、私は屋移りが多く、
ようやく馴染んだ土地、
ようやく馴染んだ人びとに別れを告げることが多かった。
生まれた地にあった大きな公園、
幼少のころよく遊んだと聞かされるが
すでに長いこと行くこともない。
就学前に住んだ高原の町、
今は通り過ぎるだけの地である。
その後住んだ地方都市、大した記憶もなく、
いまその近くに住んでいるからだろうか、特別感慨もない。
私は一つところに留まることが苦手なようだ。
常に前へ横へと足を出し続けていないといられない
困った人のようである。
人に向かい、とにかく前へ進もうよ、
ゆっくりでいいのだから、と声をかける。
普通、留まることは心地のよいことなのか。
私は休む間もなく、行こうよと声をかけるが、
もしかしたらこんなに気が急き、進みたがるのは私だけ。
こんな私の生活史、性格のためか、
私は何事にも落ち着きがない。
よく言えば好奇心旺盛ともいえるが、
やはり落ち着きがない。
私の土地がないからではないだろうか。
落ち着き場所、戻るところ、根ざすところ、
そういった土地、場所、信条が私にはない。
ただ手近なピークを目指し、闇雲に登るだけ。
目の前に現れたピーク、目標に辿り着こうと、
ときは岩壁も登る勢いであるが、
登ってしまえば、終わり。
また次のピークを探す。
私はどこへ行きたいの?
帰る場所はあるの?
首尾一貫しない言動に、周囲も、私自身さえ振り回されている。
いま考えるに、
自分の性の迷いが、ブレが大きな要因であるようだ。
私は私のからだが♂であることは早くから認識していた。
成長すれば、誰か言うところのしっぽが
オタマジャクシのように吸収されるなどとは思わなかったし、
胸がふくらんでくるなんて、少しも考えなかった。
でも、私は♀でありたかった。
そう、無邪気な時期を通り過ぎた小学生低学年の頃から。
私の一番の楽しみは、眠りにつく前のわずかな時間、
その変身をSFチックに、あるいはファンタスティックに
子どもながらに思い描くことであった。
が、その頃から割り切りと切り替えはしっかりできていて、
昼の世界でそんな様子を見せることはなかったように思う。
が、それでもときに友人から発せられる「女みていだ」と
言う語はとても怖れていた。
やはり演じていたのか。
そんな当たり前のことの落ち着き場所のない子どもが
まっとうに育つはずもなく、
延々と何十年もファンタジーを生きているようにも思う。
私に何も求めないで欲しい。
ファンタージエンを彷徨い歩いている私に何を求めるの?
何を求めることができるの?
私はいま、地に足をつけて歩いているのだろうか?
それすらはっきりと意識することができない。
しっかりと根ざし、居場所がある人、帰る場所がある人が
うらやましい。
人に「君の土地」と称されて、
その美しさを讃えられる場所を持っている人が。
いいえ、美しなくともいいじゃない。
あれば。
私は
どこへ行きたいの?
どこへ行こうとしているの?
どこへ行けばいいの?
どこへ帰ればいいの?
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