それまでも、フライングで数年にわたりお薬を飲んでいましたが、生活の方が一区切りついたところで、本道を歩んでみようかと考えたわけです。
その目的はまず診断書が欲しかったこと。
やはり診断書はいろいろな場面で必要であろうと考えはじめたわけです。とりあえず診断書がすぐに出なくても、GIDの疑いがあり受診をして通院をしているという事実は大切です。組織の中で、また家族に対しても。医師の権威は意外に大きいものですから。そう、診断書という印籠が欲しいと考えたわけです。
もう一つは、自分は本当にGIDなのだろうか?と言う疑問です。HPを見たり、本を読んだりした範囲では間違いないと思えましたが、しかしそれは客観的に判断されているわけではないので、外部からの評価、判断、診断を確認したかったということでしょう。別に権威に頼るわけではありませんが、経験値豊富な人の判断を仰ぎたかったということでしょう。
そしてもう一つ、GIDならば、そのカテゴリーの中でどういう位置づけになるのかその辺りも確認したかったということです。
さらにいえば、自分はどういう存在か?
そこが問題だったのかも知れません。「自分は自分」というのは簡単ですし、自分的にはそれでもいいのでしょう。でも多くの方々と明らかに違うわけですから、ならば世間の基準、医師の基準、医学の基準、…、何でもいいのですが、他人様から見たときにどこに位置づけ、あるいはカテゴライズされるのか。さらには、人にどう説明すれば、私そのものでなくとも、私の実態に近い状況を理解していただけるのかを知りたかったのだと思います。
人に説明し、自分を理解してもらうことは組織の中にいるとき、社会の中にいるとき、とても必要なことです。そのためのツールが欲しかったのです。

そんなわけで精神科をめざしました。
地元の同様のお友だちが相談に乗ってくれた精神科医ということで、隣町の総合病院の精神科を訪ねたのは夏の盛りだったように思い出されます。
総合病院の受付の喧噪を通り過ぎ、通路を脇にそれ、別棟のような精神科に向かいます。待合室、そこは私の心持ちもあるのでしょうが、陰気な、そしてなぜか二人連れ、付き添いのいるような方が多かったように記憶しています。そしてその日は私のお目当ての医師はおらず、臨床心理士の方でしょうか助手の方でしょうかに面接を受け、様々なことを質問され、聞き取られ、30分ほどで帰されました。来週はその医師が診察するのまた来て欲しいということで。
一週間後、私は再びその精神科に受診しました。その日は最初から医師の前に呼ばれました。そして、いきなりどこかのHPをプリントアウトした紙を数枚渡され、
「ここでは診られないから、こちらに行って欲しい。もし必要であれば紹介状を書くけど、たぶん大丈夫だから、自分で電話して予約して行ってみなさい」
って。それが川越でした。拍子抜けです。川越に行けばよいことはわかっていましたが、遠く、通院するのがたいへんなのでここへ来たのに。まるっきり門前払いです。
「先生にGIDの診察をしてもらっているという方から聞いて、ここへ来たのですけど…」
「私はGIDは診られない。その方はGID以外の精神疾患があったので、通院してもらってるんです」
って。さらに、こうも言いました。
「その人は通院のときにいつも女装してくるけど、あなたは違うね。GIDなの?」
って。
そう、お友だちに言われていたのです。女の子のカッコで行かないと不利だよって。それでも、多くの一般の方がいるのに不愉快な思いをさせては申し訳ないとレディスではあってもユニセックスなお洋服で行っていたのです。その医師にとって女の子のカッコってやはりスカートでメイクしてっていうことのようです。そういう格好が女性だというジェンダーイメージがあるのでしょうね。
私は、「あっ、そう」って内心思いました。
病院の建物を出ると、さっそく川越に電話をし、少し先にはなるけど紹介状がなくても予約できることがわかり、すぐさま2ヵ月近く先の予約を取りました。
これが私の精神科診察の顛末であり、川越に通い出したはじめでした。
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