「…つまり名声は邪魔で窮屈だ、而るに無名は霧の如く人を包む、無名は秘かで豊かで自由だ、無名は精神の彷徨を妨げぬ。無名人には暗闇の恵みがふんだんに注がれる。どこへ行こうと来ようと誰も気にしない。真実を求め語ればよい、自由はわが手にあり、われ一人誠実なり、平安なり。というわけで、樫の木の根元に心安らけく横たわれば、大地にむき出しのこの根の固さが却って心地よいのであった。」
オーランドー から

白神のマザーツリー、ブナの大老木、会いに行ったのは10年近く前
名声なんて、残念ながら悪名も、まったく無縁だけ…。
確かに「こうあらねばならない」みたいなことはないし、
世間の目がわたしの行動に、発言に期待することもないからいいね。
自由を謳歌しているかも知れません。
まっ、たいていの人が無名のはずだけど、
その豊かで自由さを無理矢理押し返そうとしていない?
自らあちらこちらに首をつっこみ、
手をさしのべ、足が抜けなくなってないかな。
みんな、どうしてそういうことができるのかわたしには不思議です。
わたしはダメ。
こうしなさい、とかあれをしちゃダメ、とか言われると
イヤになるし、反対の振る舞いをしたくなる。
校則とかルールとか示されると、
フン!って鼻で笑っちゃうし…。
そういうの好きな人多いよね。
バカじゃないのって思う。
でもね、反面、何も考えずに従える人がうらやましいなって思うことも。
だって、そういう人って悩みも疑問も不信感も湧かないじゃない。
黙々と何かに従って、それで満足してられるなんてうらやましくもあるね。
わたしはひとりで老木の木陰に寝ころんで、
新緑を眺めたり、空を眺めたりが好き。
遠くに見える山までゆっくりと彷徨っていくのが好き。
若いころ読んだエーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」、
読み返したいな、どこかにあるかなぁ…。

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オーランドー から

白神のマザーツリー、ブナの大老木、会いに行ったのは10年近く前
名声なんて、残念ながら悪名も、まったく無縁だけ…。
確かに「こうあらねばならない」みたいなことはないし、
世間の目がわたしの行動に、発言に期待することもないからいいね。
自由を謳歌しているかも知れません。
まっ、たいていの人が無名のはずだけど、
その豊かで自由さを無理矢理押し返そうとしていない?
自らあちらこちらに首をつっこみ、
手をさしのべ、足が抜けなくなってないかな。
みんな、どうしてそういうことができるのかわたしには不思議です。
わたしはダメ。
こうしなさい、とかあれをしちゃダメ、とか言われると
イヤになるし、反対の振る舞いをしたくなる。
校則とかルールとか示されると、
フン!って鼻で笑っちゃうし…。
そういうの好きな人多いよね。
バカじゃないのって思う。
でもね、反面、何も考えずに従える人がうらやましいなって思うことも。
だって、そういう人って悩みも疑問も不信感も湧かないじゃない。
黙々と何かに従って、それで満足してられるなんてうらやましくもあるね。
わたしはひとりで老木の木陰に寝ころんで、
新緑を眺めたり、空を眺めたりが好き。
遠くに見える山までゆっくりと彷徨っていくのが好き。
若いころ読んだエーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」、
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