子どもころ住んでいた家の近くに、
時代錯誤なお嬢様女子高校がありました。
そこは、1世紀前にデザインというか制定されたのではないかという
野暮ったい制服で、靴下も、鞄も、
荷物が多いときに持つセカンドバッグさえ決まっていました。
登下校のときは正門の前で、玄関前に立っている創立者の銅像に頭を下げ、
土曜日の午後ともなると、白い割烹着に白いナプキンを頭にかぶり、
学校の周囲を竹箒で掃き掃除をする。
たとえ兄弟であっても同世代の男性とは一緒に外出してはいけないとか、
外出するときには制服着用のこととかキマリがあった、
そんなお嬢様学校でした。

ベニサラサドウダン
女子高生になれるものなら悪魔にだって魂を売ってやる
って思いつつ、男子高校に通っていたわたしでさえ、
あの高校に入るくらいなら今の方が何百倍も幸せって思えるくらいでした。
でもね、だからといってあのお嬢様学校の卒業生皆がみな
3年間の教育の甲斐あって古風なお嬢様になる訳ではありません。
卒業すれが、多くが普通にOLとかなったのでしょう。
まったくはじけてしまった人もたくさんいることでしょう。
きっと在校していた人たちも自分から進んで入学した訳ではなく、
親に強く勧められたり、ほかに行き場所(底辺高でした)がなかったりで、
やむを得ず在籍していた人も多いはずです。
そう、わたしも同じかなって。
3年間ではなくその十倍くらい長い間、
やむを得ず「男」というものに在籍していたけれども、
でもお嬢様になりきれないように、
「男」にはなりきれなかったようです。
お嬢様たちが学校の目の届かないところでは、
おそらく自由に振る舞っていたように、
わたしも限られた時間ではありましたが、
人目がなければ自由に振る舞っていました。
そして、厳しい校則のもと、息を潜めていても自分を失わず、
卒業と同時に思うように生きていったであろうお嬢様と同様、
「男」を卒業し、仮面を脱ぎ捨てたと言うところです。
もう、わたしを縛る校則・男ルールはありません。
ようやく長い忍従の期間を終え、
自由に振る舞えるようになったと言うことです。
だから、わたしの中に男から女になった、トランスしたという意識は
ほとんどありません。
「男」という制服を脱ぎ捨てただけなんです。
もう着なくていいよってなっただけです。
だから、趣味や意識、考え方に変化はなく、
ただ、着るものやお化粧や立ち居振る舞いが自由になった、
思うようにできるようになったというだけです。
周囲とのこと、からだのことはともかくとして、
精神的なもの、生活面のことで、女性化する苦労ってわたしにはわかりません。
だって、今までだって先生に隠れて
お化粧したり、おしゃれしたりしてましたから、
こそこそしなくてもよくなっただけです。
たとえ制服を着せられ、校則に縛られていたって、
わたしはずっと夢見る女子でしたから。

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時代錯誤なお嬢様女子高校がありました。
そこは、1世紀前にデザインというか制定されたのではないかという
野暮ったい制服で、靴下も、鞄も、
荷物が多いときに持つセカンドバッグさえ決まっていました。
登下校のときは正門の前で、玄関前に立っている創立者の銅像に頭を下げ、
土曜日の午後ともなると、白い割烹着に白いナプキンを頭にかぶり、
学校の周囲を竹箒で掃き掃除をする。
たとえ兄弟であっても同世代の男性とは一緒に外出してはいけないとか、
外出するときには制服着用のこととかキマリがあった、
そんなお嬢様学校でした。

ベニサラサドウダン
女子高生になれるものなら悪魔にだって魂を売ってやる
って思いつつ、男子高校に通っていたわたしでさえ、
あの高校に入るくらいなら今の方が何百倍も幸せって思えるくらいでした。
でもね、だからといってあのお嬢様学校の卒業生皆がみな
3年間の教育の甲斐あって古風なお嬢様になる訳ではありません。
卒業すれが、多くが普通にOLとかなったのでしょう。
まったくはじけてしまった人もたくさんいることでしょう。
きっと在校していた人たちも自分から進んで入学した訳ではなく、
親に強く勧められたり、ほかに行き場所(底辺高でした)がなかったりで、
やむを得ず在籍していた人も多いはずです。
そう、わたしも同じかなって。
3年間ではなくその十倍くらい長い間、
やむを得ず「男」というものに在籍していたけれども、
でもお嬢様になりきれないように、
「男」にはなりきれなかったようです。
お嬢様たちが学校の目の届かないところでは、
おそらく自由に振る舞っていたように、
わたしも限られた時間ではありましたが、
人目がなければ自由に振る舞っていました。
そして、厳しい校則のもと、息を潜めていても自分を失わず、
卒業と同時に思うように生きていったであろうお嬢様と同様、
「男」を卒業し、仮面を脱ぎ捨てたと言うところです。
もう、わたしを縛る校則・男ルールはありません。
ようやく長い忍従の期間を終え、
自由に振る舞えるようになったと言うことです。
だから、わたしの中に男から女になった、トランスしたという意識は
ほとんどありません。
「男」という制服を脱ぎ捨てただけなんです。
もう着なくていいよってなっただけです。
だから、趣味や意識、考え方に変化はなく、
ただ、着るものやお化粧や立ち居振る舞いが自由になった、
思うようにできるようになったというだけです。
周囲とのこと、からだのことはともかくとして、
精神的なもの、生活面のことで、女性化する苦労ってわたしにはわかりません。
だって、今までだって先生に隠れて
お化粧したり、おしゃれしたりしてましたから、
こそこそしなくてもよくなっただけです。
たとえ制服を着せられ、校則に縛られていたって、
わたしはずっと夢見る女子でしたから。


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