山がちな地形のなか、少しだけ目立つ小さな山。
そこへの登り口に神社がありました。
この階段は、神社の参道。

付近にはまとまった集落もなく、
それほど多くの人々が訪れるとも思われません。
いつからあるのでしょう。
歴史も縁起も確認することもなく歩いてしまいました。
わたしは階段が苦手です。
同じ歩調、同じリズムで左右の足を出し続けること、
そして、それを外界から規定されているという状況が
たまらなく耐えがたく感じます。
足を置くべき場所が決められているということが
苦痛に感じられます。
でも、この階段、これまでにどれだけの時間を経て、
どれだけに人々に踏まれてきたのでしょう。
いいあんばいにくぼみ、角も取れ、苔むしています。
さらに段上には適切に落ち葉が載っています。
一段一段、多くの人により穿かれたくぼみに、
そしてそこに足を付いたであろう人々に思いを馳せ、
苔のむし方を観察し、落ち葉を踏み、
まさしく一段一段踏みしめて登ると、
苦手な階段も楽しく、意味のあるものと思えてきます。
そう、なぜか高いところに登りたがるわたしは
その過程における階段や坂道、岩場、グズグズに崩れる砂地、
ことごとく苦手なことばかりです。
でも、高いところに、少なくともその辺りで一番高いところに
行ってみたいがために登ります。
今日も登りました。
この階段を踏んで。
高いところは大好きですが、
そこにたどり着くまでは実にいやなことの連続です。
そうしたら、階段の一段にも楽しいことを
見つけて行くしかないではないですか。
生きていくことも同じように感じます。
ときには美しい紅葉に目を奪われることがあっても、
苔むした階段にごく小さなよろこびを見出しても、
見渡す景色に心躍らせても、
おおよそは、私はなぜこんなことをしているのだろうという連続です。
それでも、わたしはまた山に登ります。
しかたありません、生きていますから。

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この階段は、神社の参道。

付近にはまとまった集落もなく、
それほど多くの人々が訪れるとも思われません。
いつからあるのでしょう。
歴史も縁起も確認することもなく歩いてしまいました。
わたしは階段が苦手です。
同じ歩調、同じリズムで左右の足を出し続けること、
そして、それを外界から規定されているという状況が
たまらなく耐えがたく感じます。
足を置くべき場所が決められているということが
苦痛に感じられます。
でも、この階段、これまでにどれだけの時間を経て、
どれだけに人々に踏まれてきたのでしょう。
いいあんばいにくぼみ、角も取れ、苔むしています。
さらに段上には適切に落ち葉が載っています。
一段一段、多くの人により穿かれたくぼみに、
そしてそこに足を付いたであろう人々に思いを馳せ、
苔のむし方を観察し、落ち葉を踏み、
まさしく一段一段踏みしめて登ると、
苦手な階段も楽しく、意味のあるものと思えてきます。
そう、なぜか高いところに登りたがるわたしは
その過程における階段や坂道、岩場、グズグズに崩れる砂地、
ことごとく苦手なことばかりです。
でも、高いところに、少なくともその辺りで一番高いところに
行ってみたいがために登ります。
今日も登りました。
この階段を踏んで。
高いところは大好きですが、
そこにたどり着くまでは実にいやなことの連続です。
そうしたら、階段の一段にも楽しいことを
見つけて行くしかないではないですか。
生きていくことも同じように感じます。
ときには美しい紅葉に目を奪われることがあっても、
苔むした階段にごく小さなよろこびを見出しても、
見渡す景色に心躍らせても、
おおよそは、私はなぜこんなことをしているのだろうという連続です。
それでも、わたしはまた山に登ります。
しかたありません、生きていますから。

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