三橋順子著、講談社現代新書
神話の英雄ヤマトタケルの女装から始まり、中世の芸能、歌舞伎、江戸時代の風俗産業、そして明治、大正、昭和と抑圧されつつも息づいてきた日本の女装文化への考察です。
こんなにも深く日本の文化に女装が脈々と受け継がれてきたのかと驚かされます。そして、女装という括りではありますが、おそらくその中には今で言うGIDも加わっていたのではないかと容易に想像がつきます。
彼らの末裔の片隅に加わっている私自身に誇りを持ってしまう勢いです。
神話の英雄ヤマトタケルの女装から始まり、中世の芸能、歌舞伎、江戸時代の風俗産業、そして明治、大正、昭和と抑圧されつつも息づいてきた日本の女装文化への考察です。
こんなにも深く日本の文化に女装が脈々と受け継がれてきたのかと驚かされます。そして、女装という括りではありますが、おそらくその中には今で言うGIDも加わっていたのではないかと容易に想像がつきます。
彼らの末裔の片隅に加わっている私自身に誇りを持ってしまう勢いです。
さらに、「日本社会の性別認識」という章では、
「世の中で「女扱い」をされようと思ったら、その人が、女性のジェンダーをしっかり行っていること(doing female gender)を他者に示し、「女」としての他者からの認識(性他認)を得ることが必要になります。逆に言えば、いくら性自認が女性であると主張しても、"doing female gender"が不十分であれば、「女」としての性他認を得ることはできません。」
と記しています。さらに、
「店員やスタッフが、その人物の身体的性別が男性であることを見抜いても、「女扱い」されると言うことです。…中略…しっかり"doing female gender"していれば、「女扱い」は継続されるのです。」
と続きます。
その上で、性同一性障害当事者に見られる「パス絶対主義」を批判しています。
「パス至上主義の性同一性障害者は、あまりにも現実の社会を知らなすぎます。世の中というものは、相互の配慮で成り立っているのですから。」
としています。
最近感じていたパスへのもやもやをはっきりと表現してくれる文章で私は妙に納得しました。
実際、私も"doing female gender"の状態でお店でお洋服などを店員さんとやりとりし、試着したりして購入するわけですが、向こうは人を見るプロ、気がつかないはずがありません。さらに、場合によってはやむを得ずクレジットカードなどを出すわけですから、それこそ言わずもがなです。でも、店員さんの対応はまるで変わりません。私がそんなことを気にせず女性としての行動を続ければ、あちらもそれに合わせてくれます。せっかく配慮されているんですから、私も変に恥ずかしがらず、配慮してくれている相手に配慮して、私の役割を続けています。そう言うことで、お互いに気持ちよくことが進むのではないでしょうか。
あちらは売り上げが上がり、私は適正な価格で素敵なお洋服が買えるのですから、お互い気持ちよく取引ができることが一番です。
自分の容姿に自信が持てたことでパス度が上がったように一時感じていましたが、おそらく多くの場合はこうしたことなのでしょう。
それで十分ではないかと私は考えています。
職場や個人的な交際もこの延長ではないでしょうか。私はまだ、職場等で女性扱いされる域には達していませんが、相手にどう思われようが、気負わず女性を押し通していくことで、そうした環境でも女性扱いをされるようになり、また女性として錯覚されるようになっていけるのではと思うようになりました。
「冷静に考えると、あいつ男だったよね」
でいいのかもしれません。
「世の中で「女扱い」をされようと思ったら、その人が、女性のジェンダーをしっかり行っていること(doing female gender)を他者に示し、「女」としての他者からの認識(性他認)を得ることが必要になります。逆に言えば、いくら性自認が女性であると主張しても、"doing female gender"が不十分であれば、「女」としての性他認を得ることはできません。」
と記しています。さらに、
「店員やスタッフが、その人物の身体的性別が男性であることを見抜いても、「女扱い」されると言うことです。…中略…しっかり"doing female gender"していれば、「女扱い」は継続されるのです。」
と続きます。
その上で、性同一性障害当事者に見られる「パス絶対主義」を批判しています。
「パス至上主義の性同一性障害者は、あまりにも現実の社会を知らなすぎます。世の中というものは、相互の配慮で成り立っているのですから。」
としています。
最近感じていたパスへのもやもやをはっきりと表現してくれる文章で私は妙に納得しました。
実際、私も"doing female gender"の状態でお店でお洋服などを店員さんとやりとりし、試着したりして購入するわけですが、向こうは人を見るプロ、気がつかないはずがありません。さらに、場合によってはやむを得ずクレジットカードなどを出すわけですから、それこそ言わずもがなです。でも、店員さんの対応はまるで変わりません。私がそんなことを気にせず女性としての行動を続ければ、あちらもそれに合わせてくれます。せっかく配慮されているんですから、私も変に恥ずかしがらず、配慮してくれている相手に配慮して、私の役割を続けています。そう言うことで、お互いに気持ちよくことが進むのではないでしょうか。
あちらは売り上げが上がり、私は適正な価格で素敵なお洋服が買えるのですから、お互い気持ちよく取引ができることが一番です。
自分の容姿に自信が持てたことでパス度が上がったように一時感じていましたが、おそらく多くの場合はこうしたことなのでしょう。
それで十分ではないかと私は考えています。
職場や個人的な交際もこの延長ではないでしょうか。私はまだ、職場等で女性扱いされる域には達していませんが、相手にどう思われようが、気負わず女性を押し通していくことで、そうした環境でも女性扱いをされるようになり、また女性として錯覚されるようになっていけるのではと思うようになりました。
「冷静に考えると、あいつ男だったよね」
でいいのかもしれません。
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