はい、組みます。
で終わりにしたら、いくらなんでもですよね…。
意識して組んでみると、
右足を上にする方がしっくりいくようです。
たぶん、無意識で組むときもまずは右足が上でしょう。
でも、同じ姿勢では疲れますから、
やがて左足が上に組み直します。
で、わりあいすぐ右足上に組み直してると思います。
電車のシート、エライ人の前、椅子でもソファでも、
座ればすぐに組んでしまいます。
迷惑だな、失礼だなと思うときは、
逆に常に足を意識していないと、
命令しなくとも心臓が動くように足が動いてます。
なぜなのでしょうね?
以前どこかで読んだものに、
「身体の左右のバランスが悪い人が足を組む」って
あったような。
確かにバランスが悪く、写真も意識しないと、
どちらだったか定かではありませんが、必ず傾いています。
そう言えば傾いているのはからだだけではないかも知れません。
こころも。
だいたい、わたしが良いなぁって選ぶお洋服は
左右非対称、アシンメトリーなものが多いです。

その方が着心地がよい、居心地がよいようです。
ものの見方も「斜に構え」ているようなところがありますし、
人物評も真正面からだけでは絶対満足せず、
斜め右前から、左後ろからと人とは違う角度から解析したりします。
絶対裏があると思ってるし、裏の裏をかいて斜めから見るんですね。
人から受けた厚意もおよそ素直には受け取れません。
この厚意の影にどんな裏
(と言うと失礼ですが、本当は何を求めているのだろうと)
があるのかと、先ほどの人物評と合わせて考えてしまいます。
考えることが多すぎます。
で、考えるのが面倒になり、
結局素直に見える形で受け取るみたいな…。
その場の会話や厚意のやりとりで双方の均衡が取れたと
考えられるときはよいのですが、
わたしが一方的に厚意を受けた、バランスが悪いぞって思うと、
仕方ありません、後ほどバランスを取ることを覚悟します。
そんなことを思うから、
人付き合いが心に重いものになるのかも知れませんね。
その前に、足を組んで、相手との距離を少しでも多く取り、
近くに寄るな!と
無意識のうちに拒絶しているかなって、今、思いました。
わたしは、より広いパーソナルスペースを必要としているのでしょう。

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で終わりにしたら、いくらなんでもですよね…。
意識して組んでみると、
右足を上にする方がしっくりいくようです。
たぶん、無意識で組むときもまずは右足が上でしょう。
でも、同じ姿勢では疲れますから、
やがて左足が上に組み直します。
で、わりあいすぐ右足上に組み直してると思います。
電車のシート、エライ人の前、椅子でもソファでも、
座ればすぐに組んでしまいます。
迷惑だな、失礼だなと思うときは、
逆に常に足を意識していないと、
命令しなくとも心臓が動くように足が動いてます。
なぜなのでしょうね?
以前どこかで読んだものに、
「身体の左右のバランスが悪い人が足を組む」って
あったような。
確かにバランスが悪く、写真も意識しないと、
どちらだったか定かではありませんが、必ず傾いています。
そう言えば傾いているのはからだだけではないかも知れません。
こころも。
だいたい、わたしが良いなぁって選ぶお洋服は
左右非対称、アシンメトリーなものが多いです。

その方が着心地がよい、居心地がよいようです。
ものの見方も「斜に構え」ているようなところがありますし、
人物評も真正面からだけでは絶対満足せず、
斜め右前から、左後ろからと人とは違う角度から解析したりします。
絶対裏があると思ってるし、裏の裏をかいて斜めから見るんですね。
人から受けた厚意もおよそ素直には受け取れません。
この厚意の影にどんな裏
(と言うと失礼ですが、本当は何を求めているのだろうと)
があるのかと、先ほどの人物評と合わせて考えてしまいます。
考えることが多すぎます。
で、考えるのが面倒になり、
結局素直に見える形で受け取るみたいな…。
その場の会話や厚意のやりとりで双方の均衡が取れたと
考えられるときはよいのですが、
わたしが一方的に厚意を受けた、バランスが悪いぞって思うと、
仕方ありません、後ほどバランスを取ることを覚悟します。
そんなことを思うから、
人付き合いが心に重いものになるのかも知れませんね。
その前に、足を組んで、相手との距離を少しでも多く取り、
近くに寄るな!と
無意識のうちに拒絶しているかなって、今、思いました。
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