わたしの母は当時としてはめずらしいワーキングウーマン。
そして、行かず後家と言ってもよい歳になっていたようです。
と言っても、今で言うアラサーですけど。
当時はそんな頃まで結婚できないのは、
もう一生結婚できないくらいの感覚だったようです。
そう、30を過ぎればマルコーという時代です。
そんなとき、どういうきっかけが聞き漏らしましたが、
父と出会い、相思相愛になり、結婚して、
わたしが生まれました。
そのころ、父はまだ学生の身で、
歳の差婚で、母が年上でした。
そして、母が働いていたので、
父は母の扶養家族になったとのことです。
夫が妻の扶養ってはじめてだと言われたとか。
まあ、そんな大昔の話です。

そして、母は太平洋が近い、梅で有名な街に住んでおり、
父はそこから100kmほど離れた内陸の大学に通っていました。
結婚当初は別居です。
母の方の両親、わたしの母方の祖父母は
たいして反対もしなかったようですが、
父の方の両親、わたしの父方の祖父母は猛反対。
そりゃそうですよ。
大学に進むのがめずらしい時代、
苦労して大学に行かせたのに、
どこぞの年増に引っかかって学生結婚では…。
今、わたしだって反対します。
そんなこんなで、わたしが生まれました。

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そして、行かず後家と言ってもよい歳になっていたようです。
と言っても、今で言うアラサーですけど。
当時はそんな頃まで結婚できないのは、
もう一生結婚できないくらいの感覚だったようです。
そう、30を過ぎればマルコーという時代です。
そんなとき、どういうきっかけが聞き漏らしましたが、
父と出会い、相思相愛になり、結婚して、
わたしが生まれました。
そのころ、父はまだ学生の身で、
歳の差婚で、母が年上でした。
そして、母が働いていたので、
父は母の扶養家族になったとのことです。
夫が妻の扶養ってはじめてだと言われたとか。
まあ、そんな大昔の話です。

そして、母は太平洋が近い、梅で有名な街に住んでおり、
父はそこから100kmほど離れた内陸の大学に通っていました。
結婚当初は別居です。
母の方の両親、わたしの母方の祖父母は
たいして反対もしなかったようですが、
父の方の両親、わたしの父方の祖父母は猛反対。
そりゃそうですよ。
大学に進むのがめずらしい時代、
苦労して大学に行かせたのに、
どこぞの年増に引っかかって学生結婚では…。
今、わたしだって反対します。
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