おはようございます。
今日はお偉いさんの会議が午後あって、
そのまま年度初めの懇親会になるパターンです。
そして恐ろしことに、わたしもその末席。
疲れるだけです。
苦手です。
お仕事です。

だからという訳ではありませんが、
わたしは韓非子が好きです。
孔子よりも断然韓非子です。
残念ながら、両方とも原書で読めるわけではありませんし、
しっかりした訳本では荷が重すぎるので、
読んだことのあるのは要約版や解説本、入門書ばかりですけど。
韓非子の現実的で、どう人を使うかはっきりしているところ、
人のせいにせず、うまく使うことのできない自分が悪いというところも
気に入っています。
孔子は、それぞれが自ら向上し、
それで世の中をよくしましょう的なところが甘いように感じます。
人には誰も向上心はありますが、
何を向上させようとするかは人それぞれ。
それでは必ずしもよい方向に進むとは限りません。
もちろん、どちらがよい方向かという問題もありますが、
それはおいておくにしてもです。
そうしたことは個人の問題であり、
組織としてうまく動いていくためには韓非子が必要なのではないでしょうか。
まぁ、どちらにしてもわたしの上っ面の解釈ですけどね。

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今日はお偉いさんの会議が午後あって、
そのまま年度初めの懇親会になるパターンです。
そして恐ろしことに、わたしもその末席。
疲れるだけです。
苦手です。
お仕事です。

だからという訳ではありませんが、
わたしは韓非子が好きです。
孔子よりも断然韓非子です。
残念ながら、両方とも原書で読めるわけではありませんし、
しっかりした訳本では荷が重すぎるので、
読んだことのあるのは要約版や解説本、入門書ばかりですけど。
韓非子の現実的で、どう人を使うかはっきりしているところ、
人のせいにせず、うまく使うことのできない自分が悪いというところも
気に入っています。
孔子は、それぞれが自ら向上し、
それで世の中をよくしましょう的なところが甘いように感じます。
人には誰も向上心はありますが、
何を向上させようとするかは人それぞれ。
それでは必ずしもよい方向に進むとは限りません。
もちろん、どちらがよい方向かという問題もありますが、
それはおいておくにしてもです。
そうしたことは個人の問題であり、
組織としてうまく動いていくためには韓非子が必要なのではないでしょうか。
まぁ、どちらにしてもわたしの上っ面の解釈ですけどね。

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