先日、科学博物館のミュージアムショップで
アンモナイト化石のストラップを買ってきました。

何となく魅せられたんです。
だって、4億年前の生きていた生物の姿ですよ。
気の遠くなるような、まったく想像もできない長い時間、
閉じ込められていたこのアンモナイト。
でも、今ここにこうして姿を残しています。
すごいことではないでしょうか。
私はがんばっても100年。
死ねば焼かれてしまいますから、化石になることもなく消えてしまいます。
アンモナイトのたった0.000025%、誤差のうちにも入りません。
「最近、焦ってない?」
と突然奥さまに聞かれました。
一瞬絶句したものの答えました。
「焦ってるよ」
って。
そう、私は焦っています。急いでいます。走り出そうとうずうずしています。
何を焦っているのか…。
SRS、名の変更などの性別移行を焦っているわけではありません。
これらももちろん早期に実現したい課題ですが、
家族の意向などを考えたとき、今、言い出しても、
さらには焦って進めても決してよい結果を招かないだろうと
十分に想像できますから、
そのときが来るまで棚ざらし、保留しようと決めています。
では、何を焦っているか?
「何を焦っているの?」
と続いてたずねられての私の答えは自分でもちょっと意外でした。
それは、
「老いが迫っているから…」
って。
「あと何回、桜の花が見られるか」などと感傷的になるくらいですから、
認めたくなくとも「老い」を実感しています。
体力や容姿の衰えは隠しようがないようです。
小じわが増えたとか、あちこちが痛むとか、山道でのペースが遅くなったとか、…。
ダメを押すように年末年始の腰痛はからだに、そして心に響きました。
動けなくなると言うことはこういうことなんだなぁって。
それはとてつもない恐怖です。
また、知人が小脳脊髄変性症になったというお話し、
職場に若年性痴呆の初期の方がいるという事実、
そんなことが重なりながら、
人ごとではなく、明日とは言わないけど、
自分もそう遠くない先に動けなくなる可能性が十分にあるわけです。
恐ろしいです。
だから、そうならないためにも日ごろの心がけは大切であり、
それは腰痛を起こさないように注意をするということが第一義ですが、
だからといって何もしなければ体力自体が衰えていきます。
今さら鍛えようなんて思ってはいませんが、
衰えの下降線を少しでも緩やかにし、長持ちさせなければなりません。
老いに対して否定的な気持ちがあるわけではありません。
老いては老いたなりの楽しみ方があるわけで、
それも楽しめそうに思ってもいます。
でも、今でなくてはできないこともたくさんあるというのも事実でしょう。
今、したいことがとてもたくさんあり、
そのための時間を少しでも確保したいのです。
そのためには気力や体力も必須。
また、気力体力を向上させるため、
あるいは維持するためには、のんびりはしていられません。
だからと言って、鍛えるためだけにエクササイズをする時間もありません。
エクササイズと兼ねて、したいことをするしかないのです。
そのためには遊びすぎだと言われても、やり過ぎだと言われても、
からだと心に負荷をかけなければなりません。
それは人から見れば、確かに遊び過ぎに見えるかもしれませんが、
やむを得ないことです。
私には時間がないのです。
だから、私は焦っています。
だって、私には女性としての青春がなかったのですから。
すでにどうひっくり返っても青春なんて言える年齢ではありませんが、
それでも、擬似的青春でよいから味わいたいではないですか。
今でなくてはできないこと
…実はとうに遅すぎるのですが…
を一通りやってみたいだけです。
焦ってばたばたしたからと言って、
アンモナイトのように何か残せるはずもありませんが…。

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アンモナイト化石のストラップを買ってきました。

何となく魅せられたんです。
だって、4億年前の生きていた生物の姿ですよ。
気の遠くなるような、まったく想像もできない長い時間、
閉じ込められていたこのアンモナイト。
でも、今ここにこうして姿を残しています。
すごいことではないでしょうか。
私はがんばっても100年。
死ねば焼かれてしまいますから、化石になることもなく消えてしまいます。
アンモナイトのたった0.000025%、誤差のうちにも入りません。
「最近、焦ってない?」
と突然奥さまに聞かれました。
一瞬絶句したものの答えました。
「焦ってるよ」
って。
そう、私は焦っています。急いでいます。走り出そうとうずうずしています。
何を焦っているのか…。
SRS、名の変更などの性別移行を焦っているわけではありません。
これらももちろん早期に実現したい課題ですが、
家族の意向などを考えたとき、今、言い出しても、
さらには焦って進めても決してよい結果を招かないだろうと
十分に想像できますから、
そのときが来るまで棚ざらし、保留しようと決めています。
では、何を焦っているか?
「何を焦っているの?」
と続いてたずねられての私の答えは自分でもちょっと意外でした。
それは、
「老いが迫っているから…」
って。
「あと何回、桜の花が見られるか」などと感傷的になるくらいですから、
認めたくなくとも「老い」を実感しています。
体力や容姿の衰えは隠しようがないようです。
小じわが増えたとか、あちこちが痛むとか、山道でのペースが遅くなったとか、…。
ダメを押すように年末年始の腰痛はからだに、そして心に響きました。
動けなくなると言うことはこういうことなんだなぁって。
それはとてつもない恐怖です。
また、知人が小脳脊髄変性症になったというお話し、
職場に若年性痴呆の初期の方がいるという事実、
そんなことが重なりながら、
人ごとではなく、明日とは言わないけど、
自分もそう遠くない先に動けなくなる可能性が十分にあるわけです。
恐ろしいです。
だから、そうならないためにも日ごろの心がけは大切であり、
それは腰痛を起こさないように注意をするということが第一義ですが、
だからといって何もしなければ体力自体が衰えていきます。
今さら鍛えようなんて思ってはいませんが、
衰えの下降線を少しでも緩やかにし、長持ちさせなければなりません。
老いに対して否定的な気持ちがあるわけではありません。
老いては老いたなりの楽しみ方があるわけで、
それも楽しめそうに思ってもいます。
でも、今でなくてはできないこともたくさんあるというのも事実でしょう。
今、したいことがとてもたくさんあり、
そのための時間を少しでも確保したいのです。
そのためには気力や体力も必須。
また、気力体力を向上させるため、
あるいは維持するためには、のんびりはしていられません。
だからと言って、鍛えるためだけにエクササイズをする時間もありません。
エクササイズと兼ねて、したいことをするしかないのです。
そのためには遊びすぎだと言われても、やり過ぎだと言われても、
からだと心に負荷をかけなければなりません。
それは人から見れば、確かに遊び過ぎに見えるかもしれませんが、
やむを得ないことです。
私には時間がないのです。
だから、私は焦っています。
だって、私には女性としての青春がなかったのですから。
すでにどうひっくり返っても青春なんて言える年齢ではありませんが、
それでも、擬似的青春でよいから味わいたいではないですか。
今でなくてはできないこと
…実はとうに遅すぎるのですが…
を一通りやってみたいだけです。
焦ってばたばたしたからと言って、
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