高見順著 1958年 新潮社刊
古書店で書名と高見順の名前で手に取り、
私のところに来ました。
私の生まれるはるか以前に出版された書。
どれだけの間、店頭に並んでいたかもわかりませんし、
何人かの方が所有し、ページをめくったのかもわかりません。
そんなことを、この書の生きた軌跡に思いを馳せるのも
またたのしいですね。

第二次大戦前後の著者の女性遍歴、自伝的な小説でしょうか。
本当のところはわかりませんが、
私はそういう感じで読ませていただきました。
今と社会状況、
個人、あるいは男女間を取り巻く状況は大きく異なり、
興味深く読むことができましたね。
そんな中から…
「最も幸福な人間とは、義務に抵触することなく最大量の幸福を求めることの出来る者であり、最も不幸な人間とは、絶えず将来を予想して狐疑逡巡を選びとった者だ」と、カザノヴァは言っている。
「人は淫楽に耽っている間には、全く思考の能力を失う」と、ギリシャの哲人は言っている。淫楽のさなかは、そうかもしれない。しかし、淫楽への激しい意欲は、生命に対する強い肯定として私に作用し、、その作用は私に、制作への激しい意欲を湧き立たせた。

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古書店で書名と高見順の名前で手に取り、
私のところに来ました。
私の生まれるはるか以前に出版された書。
どれだけの間、店頭に並んでいたかもわかりませんし、
何人かの方が所有し、ページをめくったのかもわかりません。
そんなことを、この書の生きた軌跡に思いを馳せるのも
またたのしいですね。

第二次大戦前後の著者の女性遍歴、自伝的な小説でしょうか。
本当のところはわかりませんが、
私はそういう感じで読ませていただきました。
今と社会状況、
個人、あるいは男女間を取り巻く状況は大きく異なり、
興味深く読むことができましたね。
そんな中から…
「最も幸福な人間とは、義務に抵触することなく最大量の幸福を求めることの出来る者であり、最も不幸な人間とは、絶えず将来を予想して狐疑逡巡を選びとった者だ」と、カザノヴァは言っている。
「人は淫楽に耽っている間には、全く思考の能力を失う」と、ギリシャの哲人は言っている。淫楽のさなかは、そうかもしれない。しかし、淫楽への激しい意欲は、生命に対する強い肯定として私に作用し、、その作用は私に、制作への激しい意欲を湧き立たせた。


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