母が亡くなったのはもう10数年も前。
母はある難病に罹り、10年にも及ぶ闘病生活の果てに亡くなった。
バランスが悪くなったとか転びやすくなったとか、
日常生活のあれっ?が始まりであった。
やがて、さっさと歩けなくなり、手すりを頼るようになり、
歩けなくなり、立てなくなり、這うこともままならなくなり、
…
寝たきりになってからは意外に早かったように覚えている。
言葉にすればわずか数行のことであるが、
それに10年もかかった。
意識は比較的最後までしっかりしていたが、
それだけに、自分の身体の自由がだんだんなくなっていくことは
とても恐ろしいことであったと思う。
この病気、原因がよく分かっていない。
遺伝するのかもしれない。
だとすれば、私だってああなるのだろうか。
おそらく病名がはっきりすれば、
まだ身体が言うことを聞くうちに死を選ぶことだろう。
とても私には耐えられない。
人の手を、他人の手を煩わせて介護される、
そのとき私はどんな扱いを受けるだろうか。
男性介護士により、男性として扱われ、
個室ならまだしも男性の相部屋にされることもあるだろう。
それは考えるのも恐ろしいことであり、
どう思いを巡らしても耐えることのできない事態である。
今、介護の現場を考えたとき、
中途半端な私の身体は、関わる人間の揶揄の対象となりかねない。
それはあまりなことであり、
意識があればその屈辱に耐えることは困難であろう。
が、身体も思うように動かせないのであれば、
抵抗することも、否を唱えることも、死ぬこともできない。
そんなことが容易に想像できてしまい、
そのために私は私の思いのとおり身体を変えたい。
SRSをしたい。
性別も変えたい。
と考える。
今すぐでなくてもいい。
身体が動くうちに、進めるだけ進んでおきたい。
それとも、身体が動くうちに死んでしまった方がいいのか。

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母はある難病に罹り、10年にも及ぶ闘病生活の果てに亡くなった。
バランスが悪くなったとか転びやすくなったとか、
日常生活のあれっ?が始まりであった。
やがて、さっさと歩けなくなり、手すりを頼るようになり、
歩けなくなり、立てなくなり、這うこともままならなくなり、
…
寝たきりになってからは意外に早かったように覚えている。
言葉にすればわずか数行のことであるが、
それに10年もかかった。
意識は比較的最後までしっかりしていたが、
それだけに、自分の身体の自由がだんだんなくなっていくことは
とても恐ろしいことであったと思う。
この病気、原因がよく分かっていない。
遺伝するのかもしれない。
だとすれば、私だってああなるのだろうか。
おそらく病名がはっきりすれば、
まだ身体が言うことを聞くうちに死を選ぶことだろう。
とても私には耐えられない。
人の手を、他人の手を煩わせて介護される、
そのとき私はどんな扱いを受けるだろうか。
男性介護士により、男性として扱われ、
個室ならまだしも男性の相部屋にされることもあるだろう。
それは考えるのも恐ろしいことであり、
どう思いを巡らしても耐えることのできない事態である。
今、介護の現場を考えたとき、
中途半端な私の身体は、関わる人間の揶揄の対象となりかねない。
それはあまりなことであり、
意識があればその屈辱に耐えることは困難であろう。
が、身体も思うように動かせないのであれば、
抵抗することも、否を唱えることも、死ぬこともできない。
そんなことが容易に想像できてしまい、
そのために私は私の思いのとおり身体を変えたい。
SRSをしたい。
性別も変えたい。
と考える。
今すぐでなくてもいい。
身体が動くうちに、進めるだけ進んでおきたい。
それとも、身体が動くうちに死んでしまった方がいいのか。


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